早く流れる川で

雑に書き留めた何か

妹の出産の介助をした

はじめに

昨日からのお話。
※妹夫婦の確認と承認を得てます。

入院の知らせ(09:30~15:30)

妹の出産予定日から10日程が経過し、何も連絡がないので大丈夫かな? と考えていたときに妹から入院するとの知らせがあった。
また、叔母さんから「夜勤の前に妹(姪)に会いに行くよ」との連絡があった。
産前に面会ができることをこれで分かった。 妹が入院した産婦人科は比較的近場にあったため励まそうと思い赴いた。

陣痛室へ(15:30~)

産婦人科に入る機会はそうないので、勝手が分からなかった。
助産師さんに病室への案内をお願いした。1
陣痛室に入ると妹は椅子に座っていて、その傍らに旦那さんが妹の腰をさすっていた。
妹の表情はこれまでの疲労や今も続く陣痛で苦しそうだった。
そして、叔母さんがいた。

入院までの経緯を聞く

ここ5日間ほど続く前駆陣痛でまともに寝ていないとのことだ。 旦那さんは妹の介助で少々疲れている感じだった。
この時点で子宮口は3cm開いていた。

介助の依頼

妹や叔母さんが僕に旦那さんと一緒に介助ができないかと聞いてきた。
軽く顔を見せるつもりでやってきたので予想外ではあったが、やることにした。

介助の作法は無知なので妹や旦那さんから聞いた。 この時点では以下の内容だった。

  • 陣痛時に腰をさする、ただしさすってほしくない時もある
  • トイレ
    • 行く際は椅子やベッドから立ち上がらせてほしい
    • 陣痛が来た場合、その場にしゃがみこむことがある
    • しゃがみこんでしまった場合は正面に回り、両脇に腕を入れ体重を預けられうような形をとる
    • ドアが重たいから開けてほしい
  • 水分補給はキャップ付きストローで飲ます
  • 少しでも食べ物を食べさせる(無理強いはしない)

ちなみに叔母さんは夜勤があり介助したいけどできないとのことだ。
予定日からこれだけずれてしまえば致し方ないことだ。2

一つ問題があった

介助を引き受けたのは良いものの、実はこの日に予定があった。合コンだ。3
ドタキャンかーと思いつつ、「合コンあるけど断るね」と言ったら、 面々が「参加しなさい」と返してきたのには笑ってしまった。
僕の出会いの悲惨なほどの無さを知っているからだろう。 何回か「それでも断る」「行きなさい」のやりとりをした。
・・・お言葉に甘えて行くことにした。 合コンが終わったらすぐに戻る約束をした。

子宮口の開きの確認(16:30くらい?)

3.5cmだった。 9~10cmだと分娩室へ行き出産となるのだが、朝の確認から変化が少ないため妹はかなりグロッキーだった。 「大丈夫さ」「もう少しだけ辛抱だ、な?」「妹は我慢強いからな!」などとにかく前向きな言葉をかけ続けた。

合コンへ向かう(~18:00)

妹はなかなか落ち着く姿勢が見つからず、ちょくちょく姿勢を変えていた。 椅子に座ったり、ソファーに座ったり、ソファーに座りつつベッドにもたれてみたり、ベッドに横たわってみたり。 18時になり合コンへ参加するために陣痛室を出た。後ろ髪が引かれるような思いがした。
部屋を出る間際に妹から「合コン、頑張ってね」と言われた。 かわいいやつだな。

合コンへ(19:00~21:30)

アルコールを適度に摂取したが妹のことがあり中々頭が回っていなかった。
もっと女性陣に質問すれば良かった。というか自身の引き出しが少ないな。
幹事が茶化してくれたりしたのでいじられ役として奮闘はしたつもりだ。
電車と徒歩で産婦人科に戻ろうと考えていたが、幹事が産婦人科まで送ってくれた。 合コンに誘ってくれて、送ってくれてありがとうございます!

介助交代(22:00~23:45)

産婦人科の入口が閉まっていて焦った。 何を思ったのか非常階段を登り、入れる所は無いかと探した。 あるはずないので入口付近をあらためて見たらインターホンがあることに気づいた。 焦ったら実力の3割も発揮できないとはこういうことかと実感した。アルコールのせいもあるのか。
陣痛室へ戻り、旦那さんに休憩を促した。 この時、旦那さんは妹の手を握っており、休憩するためにその手を離したら 妹は「待って、何処行くの?」と不安そうに言っていた。 眠くなる薬を注射していたため目を閉じていて、僕が戻ったことに気づいていなかった。戻った旨を伝え交代した。
旦那さんと交代してからは僕が合コンへ行った間の話や合コンの成果(?)などの話をした。 時折くる陣痛を和らげるために妹の腰のあたりを親指やテニスボールで必死に圧を加えた。 これがかなりの運動量で汗だくになり、腕が乳酸でパンパンになった。 親指よりテニスボールで腰に圧を加えたほうが幾分か腕への疲労は少なかった。 明らかに陣痛室に戻ってきた時より陣痛の質が変わっていることを感じた。 これまでは妹の呼吸を促すだけだった。 また、ベッドの上半身部分の角度が45度以上から段々と水平になっていった。4 赤ちゃんが下っていたということだろうか。
トイレに行くときに2つある内の1つのトイレが「流しのつまみ部分がボタンではなく堅いレバーの仕様であること」と「扉がスライド式ではなく重い引き戸」であることが気に食わないと言っていた。

旦那さんが戻ってきた(23:45~00:10)

旦那さんは腰に圧を加える役、僕は呼吸を促す役をすることになった。 陣痛が起こると「吐いてー」「良いぞ!」「吐いてー」「その調子だ!」「吐いてー」「頑張れ!」を繰り返し言っていた。 陣痛が治まる度に「よく頑張った!」と励ました。 妹は陣痛が起こるのを逐一伝えてくれるから、反応し易かった。 「産まれそうになると、ウンチを出す感覚に近くなるんだよ」と聞いており、 妹は段々とその感覚が分かってきたため助産師さんを呼んだ。

子宮口の開きの確認(00:10~00:25)

5cmになった。 妹に「やったな~開いてきたな!」と声をかけたら軽く笑みを浮かべて頷いていた。

介助(00:25~01:00)

子宮口の開きの確認(01:00~01:15)

全開になった。 旦那さんと僕は廊下で待つことになった。

待機(01:15~01:33)

日付が変わってから急に進展があったので二人で笑っていた。
時折、陣痛で苦しむ声が聞こえてきて「頑張れ」と呟いていた。

妹、分娩室へ(01:33)

待機(01:33~01:39)

旦那さんと僕は陣痛室で待つことになった。

旦那さん、分娩室へ(01:39)

待機(01:39~01:50)

そわそわしていたと思う。

誕生(01:50~)

赤ちゃんの「おぎゃー」と聞こえた瞬間、よく頑張ったなぁーと笑顔になった。

赤ちゃんご対面

小さくて目がクリクリしていて可愛かった。 もぞもぞ動いているだけで可愛いね。 いや~旦那さんと妹がめちゃくちゃ幸せそうに見えた。

就寝(~03:30?)

病室で寝た。 ソファーは堅かったが疲れですぐに寝られた。

起床(06:30~)

妹が助産師さんと一緒に部屋に入ってきた。 やけに蛍光灯がまぶしいと感じた。

旦那さんと妹と会話

終始、母子ともに健康で良かったと繰り返し話していた。 07:30に妹の朝食が来た。朝食をしっかり摂っていて安心した。 旦那さんのご両親が来るとのことだったので挨拶をしようと思ったが
帰ってもいいよ?と促され帰ることにした。

帰宅(10:00~)

妹が助かったポイントをまとめてくれました!

  • まず、身内であるため要望を伝えやすいこと(普段からコミュニケーションの取れている関係だから頼めました)。

  • 男性であること、自分より体格がいいため、介助してもらう際に安心して体重をかけられること・何度もある陣痛の度に力強く腰に圧をかけて続けてもらえたこと。

  • 側でリードランナーのように呼吸をサポートしてくれたこと。痛みに耐えている中、それだけを必死に見て真似るだけでよかったので集中し頑張って安定した呼吸ができた。

  • 頑張っている、上手にできている、その調子、など言葉での懸命な励ましを絶えずしてくれたこと。壮絶な痛みがいつまで続くのかとネガディブな自分がやってくる度にとても励まされた。

  • こちらが未知の経験で出産に対しての不安が強かった分、介助に前向きな姿勢で取り組んでもらえたことが何より救いになりました。陣痛時の腰へのアプローチがなかったら痛みに耐えられてなかったと思います。 本当に助かりました。ありがとう!

おわりに

彼女が欲しいです・・・
いきなり出産の介助をするとは予想外でした。なかなか経験できることではないですよね。
この経験を活かします的なことを書こうとアバババ・・・
出産って大変ですね。これを乗り越えられた女性が強くなる理由が分かる気がしました。
旦那さんと妹の幸せそうな姿が微笑ましかったです。
将来、もしかしたらこの投稿を甥っ子君に読ませるらしいです(笑)
彼女のくだり消さないと・・・

その他

ようやくMarkdownのリスト表記が反映されなかった理由が分かった。
リスト上下に空白行があると認識されるんだな・・・。


  1. 陣痛室、分娩室、病室とあり、陣痛室から分娩室は直通。病室は出産後に休む部屋

  2. 予定日付近は夜勤を入れていなかった。

  3. 2~3年ぶり

  4. 妹曰く、なかなか良い角度が見つからず、試行錯誤してたまたまこの角度に落ち着いたとのこと